古くから欧米人の保養地としても栄えてきた長崎県の雲仙温泉(うんぜんおんせん)。その一画にある雲仙観光ホテルは、欧米と日本のスタイルを融合させた独自の文化をていねいに受け継いできました。かつては昭和天皇も宿泊した格式ある老舗のクラシックホテル・雲仙観光ホテルの歴史についてご紹介します。
雲仙温泉の始まりは古く、開湯は701年。修行僧・行基(ぎょうき)がこの地に温泉山満明寺(うんぜんさんまんみょうじ)を建立したのが始まりとの伝承があります。明治・大正時代には、上海の租界(そかい=外国人居留地)から多くの欧米人が訪れました。
日本ではじめてパブリックなゴルフコースが造られたのもこの雲仙です(上の写真は雲仙ゴルフ場)
その後、外貨獲得のための国策として、洋式ホテルの建設が決定。雲仙が日本初の国立公園として認定された翌年、昭和10年(1935年)に、雲仙観光ホテルが誕生しました。建物は竹中工務店が設計・施工を担当しました。設計者は早良俊夫(さがらとしお)氏。
雲仙観光ホテルのいちばんの特徴は、ヨーロッパのホテルを思わせる外観。昭和13年(1938年)にハンガリーの文化使節として訪れたメゼイ博士は、雲仙を「南欧チロルの山の美に、リビアの海の美を加えたような場所」と絶賛。
さらにメゼイ博士は、雲仙観光ホテルを「東洋的であり、西洋的であり、しかもなんら不自然さがない」と語ったそうです。雲仙観光ホテルの威風堂々たるたたずまいは、2003年に登録有形文化財にも認定され、雲仙温泉のシンボルともいえる存在になっています。
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